SSイベント報告+役員会より

東京女子大学同窓会 埼玉支部の活動のあれこれと役員会からの報告をお伝えします。
出会いで学ぶ銀座の教室


大変残念なことですが、いろいろの事情のため7月18日が最後の銀座教室となってしまいました! その最後をしめくくるに相応しくスピーカーは石原一子さん、タイトルは「人生にリタイアはない」でした。石原さんは一昨年埼玉支部の総会でもお話くださいましたが、大変お元気でシックに黒のスーツに身を包み溌剌とお話しくださいました。

東女卒業後東京商科大学(現一橋大学)に入ったのは、満州から引き上げてきた知人・友人たちの身の処し方を見て、これではいけない、女性が独り立ちして生活していくためには男性と同等の知識を身につける必要がある、それで多くの人が経済界で活躍している一橋大学を選んだ。たった一人の女子学生だった。

さらに高島屋を選んだのは女性であることがマイナスにならない職場だからと若いときからすべて目的を持って行動された。‘52年の高島屋入社ですから、私より1年後の就職です。日本の企業ではまだ、女性は結婚したらやめる、結婚しても子供ができたらやめるというのが不文律だった頃です。この頃の石原さんのご苦労はすごーくよくわかります。私はずっと外資系で働いてきたのですが、結婚してもそのまま仕事は続けなんの障害もありませんでした。ただ、最初の出産の時には自分が不安で仕事はいつでもあるというつもりで(その頃は英文速記はもてもてだったので)きっぱりと退職しました。石原さんは2度の出産の度に産休をとられて仕事に復帰されております。大きいおなかをして「どうして働かなくてはいけないの?」とかやはり色々言われたそうです。自分の経験と重なりました。私自身の兄(8歳上)が「あの子はいつまで働くのか、可哀想だ」と言っていたそうですが、母はよく理解してくれていて「本人は働いていたほうが輝いていられるのだから」と取り合わなかったとか。その頃のことを思い出しました。

高島屋時代の秘話から国立の市民運動、市長選挙のことなど、身をのりだしてお話しなさいました。人生50年と言っていた頃は過ぎ去りいまや100年にも突入しようとしている時、我々は何をすべきか − 生涯学習、地域社会への貢献。市民運動については新著書「景観にかける−国立マンション訴訟を闘って」に書いたように、弁護士を選ぶ、裁判官もどんな人か調べるなどなど学んだ。

我々はいまや自己実現をする齢になってきた。自分の今までの経験、知識を地域に還元することが必要だ。こういう宝を灰にしないでこれからの世代に送りこもうではないかという力強いお話しでした。

だめもとで前もって「お茶でもご一緒に」と連絡しましたら、何と快く「嬉しいわ」と受けてくださり、会の後少人数でしたが、近くの風月堂で短い時間でしたが、鞠子さんもご一緒にお茶をして、大変有益な楽しい時間も持てました。有楽町まで歩いて帰る間に「石原さん!」と結構素敵な男性が声を掛けてこられました。やはりお顔が広い!朝日新聞の記者でいらした方だそうです。

またの出会いを希ってお別れをしました。

ぐり
| 銀座の教室 | 14:14 | comments(2) | - |
第3回「出会いで学ぶ銀座の教室」
6月20日、銀座で開催された第3回「出会いで学ぶ銀座の教室」に出席しました。

今回のテーマは「女性長寿の謎は解けるか、健康寿命ドックからケアへ」。数々のテレビ出演でおなじみの久保明先生のお話を一時間半にわたり聞きました。先生は「健康寿命ドック」「サプリメントドック」などアンチエイジング医学の確立に力を入れていらっしゃいます。

まずは皆が関心のある認知症のお話から・・・

認知症とは脳内の海馬がやられる病気だそうで、脳に血液を送る7ミリほどの4本の重要な血管にプラークと呼ばれるさびがついてしまうことが原因だとか。このプラークは誰でも一年で0.02ミリくらいづつ増えてしまうのですがとても個人差があるのだそうです。

まずは早期発見が鍵、一日に同じことを3回言ったら要注意、まずは身近な方に注意していただきましょう。

現在特効薬もあるにはあるけれど3割ほどの方にしか効かず、また副作用も心配だそうです。この点に関しては今後の新薬開発に期待したいですね。

ところでなぜ女性は男性に比べて長寿なのでしょうか?もちろん女性ホルモンのおかげではあるのですがそれは原因の半分程度だそうでHDLコレステロール(いわゆる善玉コレステロール)、老化をおさえるたんぱく質であるアディポネクチンが男性より多いこと、などがあげられるようですが他の要素に関してはまだまだよくわかっていないそうです。

誰しもが願うアンチエイジング、その方法は人それぞれ、いち早く見つけた人が若々しく元気で人生を送れるのとのこと、ちなみに先生は楽しく生活すること、好奇心を失わないことを心がけていらっしゃるそうです。

やはり人生は明るく楽しく、が基本なのでしょう。(A)




| 銀座の教室 | 19:50 | comments(3) | - |
"残しておきたい色の伝統"08年度第2回「銀座の教室」

5月23日「出会いで学ぶ銀座の教室」に出席しました。先ず司会の「鞠子先生」、引き続き貫禄の石原さんが今日のスピーカー伊原昭氏を紹介されました。 何と91才!壇上に上がられた伊原さんは先日の青木玉さんと同じくとても上品な方で、シルバーヘアがよくお似合いの優雅な物腰の方です。

東京女子大卒業後、日本大学大学院終了
文学博士
国立国会図書館を経て、和洋女子大学
梅光学院大学教授歴任、梅光学院大学名誉教授

半世紀を掛けて「万葉集」など古典文学に表現された色彩を丹念に収集、分類して完成させた「日本文学色彩用語集成(全5巻)」の業績により、ビューティサイエンス学会賞、エイボン芸術賞などを受賞。受け継がれてきた日本の伝統の色を後世に伝えて行きたいと、現在も意欲的に研究に取り組んでおられます。

日本文学に出てきた「色」の研究、全く異色なものだと思うのは私だけでしょうか? 文学作品を通じてどんな風に「色」が描かれているかを上代〜平安時代〜中世〜徳川時代〜近世までの研究が終ったと淡々とお話になる伊原さん(あえて“さん”と呼ばせていただきます)。実に50年もの歳月をかけ、200余の古典文学に描かれた色彩表現を採録・収集して一枚一枚カードを作り、それをもとに「日本文学色彩用語集成」が完成されました。色彩表現の中に脈々と受け継がれてきた、文学に見る日本独自の社会性や文化を知る上の貴重な資料は建築家・染色家・衣料関係者などなど多くのジャンルの専門家にとってのバイブルとなっているそうです。

伊原さんの「色」との出会いは、戦時中疎開先の図書館で十数巻に及ぶ「万葉集」とであったところから始まりました。一字一句に歌われたさまざまな色彩表現に触れると、まるで絵画を見ているような感覚になったとか。戦後帰京した伊原さんは国立国会図書館に勤めながら日本大学大学院へ進まれ、「古典の中の色彩」を研究し、図書館で不要になったカードに色彩用語の原文をそのまま書出していく作業を始められました。その数はなんと15万枚!

万葉集にも沢山「色」が詠みこまれている、「色」に託した心情的な和歌もある。と例えば野草の露草。万葉時代には染料として使われていたが、たとえその色が褪せ落ちようとも私の心は変わらないという恋歌もあるとか。色々具体的な例をあげて説明してくださいましたが、ポーッと聞き入ってノートをみてもチンプンカンプンな私です。ただ着る人の人柄により、同じ着物でも美しく見えたり、醜く見えたりするとか、光源氏が女性に衣類を贈る時のエピソードなど心に残りました。

江戸時代の「通」とか「粋」は黒だったとかそれぞれの時代の色についても言及されました。また「黄」という色は万葉集4,500首の中には一回しか出ていないとも… .一首、一首万葉集全部に目を通されたのです!

最後に、古くから伝わる色は、植物など自然のなかにあるものを材料としていて、まさに日本の風土と一体になっており、これは有難い日本の伝統ですと締めくくられました。長い間ひたすら「色」にこだわってきたのはこうした素晴らしい伝統が消えてしまうのはあまりにも勿体なかったからという思いが支えになったそうです。その思いに言葉も出ないほどの感激をうけました。

聴衆からの質問には目を輝かせて今後もこの研究を続けたいと本当に生き生きと抱負を語られました。楚々とした控えめな伊原さん、私たちの、いえ日本の宝です。

花束贈呈のあとは「鞠子先生」の体操。今日は椅子を前におき軽く掴まって、腿を90度になるまで上げる足踏み。全員元気に150回やりました。毎日つづけるのが健康維持に大事です!

埼玉支部からは7名参加、例によって短い時間でしたがご一緒にお茶をして、心満ち足りて帰宅しました。

ご一緒した方々どうぞ補足してください。利休ねずみとか“ろこう茶”とかの色の名前も沢山出てきましたね。どうもよく纏められないのでよろしくお願いします。

 



| 銀座の教室 | 12:02 | comments(6) | - |
出会いで学ぶ銀座の教室 2008年度第1回
銀座の教室2008年4月

出会いで学ぶ銀座の教室 2008年のテーマは 「アンチエイジング」
第1回の4月18日(金) アンチエイジングのすすめ −肌の若返りー講師 
塩谷信幸氏 (北里大学名誉教授 AACクリニック銀座名誉院長)

私は銀座の教室には始めての参加でした。ひどい雨でしたが会場は満席で、
支部からは10名参加。いかにみんな若々しくありたいかというあらわれでは
ないでしょうか。



司会の鞠子先生がお若いのにびっくりいたしました。卒業以来はじめてお会いしたのですが、少しも年をとっていらしゃらないような印象でした。体育館での授業が思い出され懐かしさで胸がつまるおもいでした。

塩谷先生は初老のとても素敵な紳士でパワーポイントを使って、てきぱきと専門的なお話しをなさいました
人間の年齢には暦年齢と生物学的年齢(リアルエイジ)があり、加齢とともに老化が進み、最後に寿命(死)をむかえる。いかに老化の速度を遅らせ、
リアルエイジを若返らせるかがアンチエイジングの目標。老化の原因はいろいろあり、主なものとて
1.細胞時計説 2.内分泌説 3.免疫機能低下説 4、DNA損傷説 5.
活性酸素説 があげられる。活性酸素を増やすワースト3は紫外線、ストレス、タバコ。 人間の寿命は120歳が定説で最高長寿者はカルマンさんで122歳。
抗酸化が老化防止の決め手。 1.適度な運動 散歩なら誰でも出来る、2.
バランスのとれた食事 カロリー少な目(約1800カロリーまで)、水分多目に(約2リットル)、脂肪25%、 炭水化物 60%、蛋白質 15%,3、メンタルアクテイビテイ が大事。肌の老化の原因は 1.光老化 紫外線による.
ダメージ 2、細胞の酸化 3.皮膚の乾燥 4.皮膚の非薄化
それに対してさまざま治療法がある。化粧品、ケミカルヒーリング(ヒアルロン酸、コラーゲン、ボツリヌス菌の注入) たるみやしわをとる手術。美しく楽しく生きられる人生を目指しての アンチエイジング5か条 1.いくつになっても男と女 (おしゃれが大事)
2.肌の若返りは心の若返り 3.バランスの良い食事と適度な運動 4.
よく笑い、よく話し、よく噛む 5.長生きこそ最大の誇り。

先生のお父様についての話が印象的でした。



85歳まで内科の開業医をなさり、引退後熱海のライフケアマンションでゴルフ三昧の生活。理想的な老後の生活とみえたのに、自分は社会に役立っていないのではないかと落ち込んだ。ところがある日マンションでトラブルがあり、その調停役に引っ張り出され、問題が解決。その後自治会の世話役を引き受けたり、執筆活動や、講演旅行にと生きがいのある老年を過ごした。100歳のときの写真を見せてくださいましたが、本当に元気はつらつとしておられました。(106歳で逝去) サクセスフルエイジングとしは疾病予防、判断力と体力、社会生活 の3つのリングの大切さをしっかり確認しておく必要があるということです。

鞠子先生が肩甲骨を動かす運動をご指導くださり、若く見える最大のポイントは姿勢を意識すること、腹筋と背筋をきたえ、足首を前後に動かすことが大切、とのお話が何よりも心に残りました。前からだけでなく、横から、後ろからも自分の姿をみてみましょう。(K)
 


| 銀座の教室 | 21:18 | comments(6) | - |
“日本の女性と表現” 07年第4回「銀座の教室」
〜表現のある生活、ない生活〜

講演中の松岡励子さん 講演中の松岡励子さん

7月27日午後2時から第4回「銀座の教室」が開かれました。今回の講師は1941年卒の大先輩の演出家、松岡励子さん。会場は満席でした。埼玉支部からは8名が参加しました。

●松岡さんの生い立ち
1919年生まれの松岡さんが生まれ育ったご家庭は・・・。
八戸出身のお父様は、そのおじい様の教育方針のもと、東京で高等教育を受け、新聞記者として活躍。
お母様は高等小学校を卒業後金物店へ奉公に出たものの、学問への情熱絶ち難く、良き出会いを経て女学校へ進学。「女性も自立を!」の精神で婦人雑誌の記者となり、尊敬する方の弟と結婚。大正12年から洋装で父兄会に来るようなハイカラな女性でした。
その松岡家の教育方針は「自分の意見をはっきり言える人」。3人の子供たちには毎日夕食後に「演説の時間」が課せられていました。「いち、演説」で始まる演説の時間には、それを聞きにくるご近所の人々で松岡家は賑わっていました。

松岡さんは、その後の教育を受ける課程で、「ドラマ」との接点は多く、YWCAで明治時代に来日したカナダ人の教師の「日本の女性の表現が見えない」の一言に表現の大切を学びます。

●「笑い」・「泣き」について
松岡さんがお父様の転勤に伴い朝鮮の小学校に通っていた時のこと、年に一度の偉い方の訪問(注;戦後生まれにはこのあたりの歴史の知識が不足しており、松岡さんのお話になった役職名を理解できませんでした。かなりの要職の方のようです)に、学校中が極度の緊張に包まれていました。そこに登場した偉いさんの何ともいい難い恰幅の良さに、クスクスという笑いが生徒の間に起こり、波のように笑いが伝播していきました。翌日、先生は学校を辞めました。
こわい、冷たい「笑い」の経験でした。

「泣けない時代」もありました。出征兵士を送る時、その家族に泣くことは許されませんでした。

「ユーモアを持っている人は絶望しない」

●「表現」について
松岡さんの合図とともに、聴衆席に座っていたグループが立ち上がり、詩「夏の女王」の朗読を始めました。ある部分は全員で、ある部分は一人で、
声の強弱・高低、抑揚の変化に富んだ朗読は「ドラマ」そのものでした。

次に、ひとりの方が詩「うましめんかな」を朗読されました。
(注;栗原貞子さんの詩です。ここに書き込もうかと思いましたが、著作権のことを考えやめておきます。「うましめんかな」で検索するとすぐに見つかります。) 
以前、吉永小百合さんの朗読を聞いたことがありますが、今回の朗読の印象はまったく異なるものでした。
「朗読」=「表現」、読み手の思いが伝わるものであることを体感しました。

軽い語り口に会場は何度も笑いの渦に巻き込まれました。
松岡さんは聞き手の心をつかむ「表現」の達人でした。

今年も八月が近づいてきました。
指導されているグループの朗読を通して、松岡さんの平和への思いが「表現」された、と私は受け止めました。

                               (Y)
| 銀座の教室 | 01:10 | comments(3) | - |
“清少納言をめぐる男性たち” 07年第3回「銀座の教室」
今回は、歌人であり作家でもある尾崎佐永子氏による「清少納言をめぐる男性たち」というお話しでした。 埼玉支部からは4名の参加でした。


講演の内容は、枕草子の話を中心にし、清少納言をとりまく男性たち、またライバル?紫式部との比較など、以下のようなものでした。ただしカッコ内のカタカナは私の囁きです。

古典としての枕草子の読み方と清少納言の素晴らしさ
   源氏物語と違い、枕草子には定本というものができなかったので、後に写した人が自分の好みでつけ足したものもあるようだ。 例えば、第13段の「山は」の後、をぐら山。かせ山。など8つの山しか最初は記されていなかったようだが、能因本などでは更にいくつもの山が記されている。 事ほどさようで、枕草子を読む時は「ちょっと眉唾」くらいの気持で読んでいいと思う。(少シ、ホットスル) とにかく古典は自分流に、勝手に読んでいい。(更ニ、ホットスル) これが素人の強みである。 古典は難しいというが、千年前のものでも何せ日本語なのだから、繰り返し読めばおのずと分かるのではないか。(エー、ヤッパリ大変ナコトダ) それと、それぞれの長い人生経験により若い時とは違った豊かな解釈ができるもの。
   
教科書には「春はあけぼの」、「すさまじきものは」などの段がよく載せられているが、今日はあまり載せられていない段「人のうへをいふを腹立つ人こそ」、と「中納言まゐりたまひて」を一緒に読む。 どちらの段も、慎ましくあるべき宮廷女房の清少納言が、ちょっと言いにくいことを文中でさりげなく、あっけらかんと言いのける素晴らしさ、凄さ。 また教養高き彼女が、高級な冗談で切りかえす面白さ。当時の宮廷女房というのは、出自もよく、機智に富み、男性の扱い方を熟知している職業婦人だった。 今で言えば、銀座の高級クラブの女性のような存在と言って良いのではないか。 清少納言はその中でも抜群の存在だったと思われる。

清少納言をめぐる男性たち
   清少納言は自分では不器量だと言っているが、そこはそこ、彼女が若い頃から憧れてやまぬ男性、実際に夫となった男性、気の利いた会話を通じて交流があった男性など、結構華やいだものがあったようだ。(コレガ、一番知リタイトコロデシタ)
★ 実際に結婚した最初の夫は、橘則光で一子を産むがやがて離婚する。 ただし彼との交流はこれで終わらず、一説ではその後も宮中公認の仲だったとも言われている。 その後、藤原棟世と結婚する。 当時は離婚、再婚は普通のことだった。 
★ 藤原行成には、清少納言はぞっこんだった。 何せ彼は美男子ではあるし、書も達者で、和歌も上手とあっては。 彼と清少納言の間には、何かあったかもしれない、いや、男女の関係があってほしいという私たちの願いもこめてしまうほど。
★ 藤原実方には、清少納言は若い頃に思いを寄せていた。 やはり美男子だったそうだ。(少納言サンハ、ドウモ面食イラシイ)
★ 藤原信経(紫式部の従兄弟)やその他、宮廷女房と廷臣との間柄ということで、華やいだ教養を活かした機智に富んだ交流があった。

紫式部と清少納言
紫式部は「紫式部日記」の中で、清少納言のことを“したり顔にいみじうはべる人・・・・真名書きちらして・・・いと足らぬこと多かり。・・・・”などと、こきおろしている。 清少納言は枕草子の中で、紫式部の夫の藤原宣孝の衣装に関する逸話や、従兄弟の藤原信経を自分がやりこめた話などを書いている。 その他、比べてみると、どうも紫式部のほうが、執拗で、他人を観察するのが得意で、同姓の友達が少なかったような感じがする。 清少納言のほうが、あっけらかんとしていて、可愛げがあるように思われる。 率直に言うと、友達にするなら清少納言を選ぶだろう。

尾崎氏のお話は以上のようなものでした。 さて皆様は、清少納言派ですか、それとも紫式部派ですか。 
私は今日のところは、清少納言派です。   <H> 
| 銀座の教室 | 11:47 | comments(1) | - |
“私の生き方ー山に学ぶ”−07年第2回「銀座の教室」
今回(5.18開催)の講師は医師で登山家の今井通子氏。
石原女史が、種々の審議会や委員会などで出会い、「発言の内容がいつも新しい」ことに感心、講演を依頼なさったとのこと。

話の主旨は、自然がいかに人間を育てるか、ということでした。昨今、親を殺す子供、子供を殺す親など、とんでもない事件が続くが、こうしたことの原因の一つに、現代生活から自然がなくなってしまったことにあるのではないか、との指摘でした。

こう書くと、そんなことは誰でも言っている、耳にタコだ、と思われる方もおいでかと思いますが、それが今井さんの話になると、突然に真実味を持ち、迫力満点になるのです。

というのも、彼女の言葉が彼女自身の豊富な体験に基づいていて、具体例がぼんぼんでるからです。何しろ女性として世界で初めてヨーロッパの三大北壁を制覇し、その成功の日(1971.7.17)に、グランドジュラスの山頂で、登山家高橋氏との結婚式までやってしまうという、行動力の塊みたいな女性です。

輝かしい登山暦の数々はネットに紹介されていますので、お読みいただくとして、彼女がこのように挑戦的であり続けられるのも、その力を自然から学んだから、と彼女はいいます。

ヨーロッパの人々が自然の中のバカンスを大切にするのも、自然が人間に与える影響を重視するからではないか、と彼女は考えています。彼女はこれを「積極休養」と表現、成長に不可欠なものと強調しました。この指摘は、私の心にキラリと響きました。

私がかねてから不思議に思っていたのは、医師(東京女子医大腎総合医療センターに今年3月まで勤務)という忙しい仕事をしながら如何にしてあのように半端じゃない登山活動を続けられるのかということでした。

それが、強い意志によってできること、その力も自然からの贈り物であることが納得できました。

たまたま明日からスコットランドからイギリスの田園を訪ねる旅に出かけるのですが、そこの自然がどのように素晴らしいのか、それは人々の暮らしにどのように位置づいているのか探ってみたいと思います。「積極休養」にしたいと思います。

以上、感想だけの雑な報告で済みません。時間切れです。          <O>


| 銀座の教室 | 22:54 | comments(1) | - |
“朗読の楽しみ”−07年第1回「銀座の教室」
今年初の銀座の教室に行ってきました。講師は、女優の幸田弘子さん。テーマは「樋口一葉と私−朗読の楽しみ」。会場は満席。埼玉支部からは4人の参加でした。

■舞台朗読
幸田弘子さんの朗読の素晴らしさは、芸術祭優秀賞(3回)を初め数々の賞が証明していて、実際にお聞きになった方も多いと思います。私は、今回が初めてで、朗読ということでラジオの「日曜名作座」や「私の本棚」などをイメージしていました。しかし、幸田弘子の世界は、舞台朗読という彼女の独創によるもので、一味も二味も異なるユニークなものでした。

■「人物が立ち上がる]
最初は、昨年遇われた自宅全焼と火傷入院、それ以前に見舞われた雲膜下出血など、そこから生還して再び朗読ができている現在の思いなどについての語り、続いて「源氏」から紫の上の登場と終焉の場面、最後に一葉の「わかれ道」の朗読、でした。

会の初めに、松岡励子先輩が「幸田さんの朗読を聞くと、作中の人物が立ち上がってくるんですよ」と講師紹介をなさって、その時は「へぇ?」と半信半疑で聞いていたのですが、本当にその通りでした。古典のちょっと難解な表現なのに、幸田さんが朗読すると意味がすんなりと理解でき、人物の背格好や仕草などが目に浮かんでくるような気がしました。不思議な経験でした。

■朗読は解釈
朗読は解釈、という幸田さんの言葉は印象的でした。文字を読むだけでは、人物を立ち上がらせることはできないということでしょう。幸田さんは、自ら朗読演奏をする傍ら、大学や市民講座などで「声に出すこと」を通じて文学の理解を深めることの楽しさを提唱しているそうで、近著『朗読の楽しみ』でも「文学のすばらしさは、声に出して初めてわかる」ことを力説しています。

■彩の国で
私たちにとって幸いなことに、現在、彩の国さいたま芸術劇場で、「源氏語り54帖」が行われています。2001年から毎年6回ずつ、9年かけて54帖すべてを語るという諸井誠さんらしい壮大な企画。今日(4月14日)は、その37回目が行われた筈です。残り2年ほどですがお勧めします。私もこれからなるべく多く聴きたいと願っています。

■半世紀前からの縁
さて、今回の会ですが、これは、主催者の一人である松岡励子さんが半世紀以上も前から幸田さんとお知り合いであったという縁によって成り立ったものです。長い年月の交流があり、さらにそれが、石原一子先輩の母校の後援に役立てたいという熱意に出会って「銀座の教室」となって実現していることを強調しておきたいと思います。

この教室では、女子大関係の懐かしい顔に出会えること、とりわけ松岡、石原両先輩のお元気な、張り切った姿を目の当たりにできることも楽しみの一つです。今回は満席ということでお二人がいつもにも増して嬉しそうに若やいでいらして、こちらまで嬉しくなりました。

■ぜひご参加を
今後の計画は、以下の通りです。
参加すれば、必ずきらりとした何かを感じることができるでしょう。
第2回 5月18日(金) 「私の生き方−山に私が学んだこと」(今井道子)
第3回 6月8日(金) 「清少納言をめぐる男性たち」(尾崎左永子)
第4回 7月27日(金) 「日本の女性と表現−表現のある生活、ない生活」(松岡励子)
| 銀座の教室 | 23:31 | comments(1) | - |
出会いで学ぶ銀座の教室「美術館が街を変える」
金沢21世紀美術館

今回のテーマは「美術館が街を変える」
金沢21世紀美術館館長・蓑 豊氏の講演でした。

蓑館長のご経歴は「金沢21世紀美術館」のHPに詳しいのですが、
後援財団理事長の石原さんとは、1977年高島屋店次長だった石原さんが「クレマンソーの香合コレクション」を企画なさった時、当時モントリオール美術館にいらした蓑さんと交渉して以来のお付き合いだそうです。
美術館と聞くと「静」のイメージですが、蓑さんのお話は「動」そのものでした。

その内容は・・・

『アメリカで奨学金を得て教育を受けたので、アメリカに東洋文化を紹介することに長い間携わってきた。
例えばシカゴ美術館の東洋美術ギャラリーの一部屋は建築家安藤忠男氏が設計し、アンドウ・ギャラリーとして氏の代表的な建築物となっている。
安藤氏のPASSIONは「夢を持てば仕事は成功する」というもので、自分のPASSIONと通じるものがある。
日本の美術館は公営のものが多く、運営費の90%は税金によっている。
その入場者の平均は5万人で経費は勿論赤字。運営費の10%程度しか稼いでいない。「21世紀美術館」創設時、運営費の60%は稼ぎたい、年間入場者予想30万人と発表した。人口45万人金沢市で30万人を呼ぶことが出来るのだろうか。

方略として考え出したのが、金沢市内の全小・中学生を無料招待すること。
4ヶ月の間に4万人の子供達が美術館に来た。
そしてその子供達に「もう1回券」を2枚ずつ渡した。
期限をつけたところ、その子供達が親を連れてきた。
1年間で戻ってきた「もう1回券」は7000枚。
どこかの国の調査が、子供の時に美術館へ行った人は、100%子供を美術館へ連れていっている、という結果を示している。
子供に美術館へ行く習慣をつけることは大切なことである。

その他にも企画展等でたくさんの人を集め、その結果1年目は入場者数157万人を達成。内訳は40%が県内、60%が県外からの客だった。2年目は120万人の入場者を集め、経済波及効果は328億円と地元紙に報じられた。200億円の建設費を含んでいるとはいえ、120億円余は金沢の町に落とされたことになる。地元の大手デパートの売上も上がっている。

その他、集客の戦略として、閉館時刻を夜10時にした。
「タレルの部屋」は屋根が無く、空と天井が一体化して夜の景色は素晴らしく、ちょっとしたデートスポットになっている。
一度入場するとその日にうちなら何度でも入場できるシステムになっている。
建物の設計にも工夫がなされ、入り口は4箇所、フリーゾーン(入場料不要のところ)も広く、中が見えるようになっている。ただし、肝心ところを見るには、ちゃんと入場料を払わないとならない。」

と、これだけのお話をされた後、実際の写真を見ながら、さらに具体的に説明された。

金沢の駅から美術館にいたる道のところどころに設置された彫刻。
来年の高校の数学の教科書に載るという円形の中に四角が林立する建物。
来館者を圧倒するというプールの芸術。
子供に人気があるという、自由に遊べる体験型作品。
作家が半年間実際に製作している公房。
740平米の市民ギャラリーはコンベンションセンターとして貸出し、全国から人々が集まってくる所となっている。

子供のうちに美術館で感動を教えることが大切である、と今では市内の全小学校の4年生(4年生が最も感動に適している年齢だそうです)を招待している。
来週はルーブル美術館の館長、来月はニューヨークのグッゲンハイム美術館の館長が来訪される由。

美術館のかび臭いイメージを払拭された1時間半でした。
私も「21世紀美術館」に行きたくなりました。
埼玉支部ツアー、企画しますか?
| 銀座の教室 | 09:40 | comments(2) | - |
第2回 [出会いで学ぶ銀座の教室」報告
講演「『生きている』と『生きる』を考える」、講師:中村桂子氏
5月26日(金)の夜、上記講演会に行ってきました。銀座教文館9階のウェンライトホールは初めてでしたが、ホールというよりサロンの雰囲気です。席を探していると前方に既に石井支部長が座っていらっしゃいました。埼玉支部のメンバーも次々に・・・。先日の「埼玉支部の集い」で石原さんに紹介していただいた結果でしょう。
 中村講師は高名な生命科学者ですが、「難しいことを分り易く」話されたのはもちろん、講師の人間的な世界観そのものに説得力があり、共感と感銘を覚えました。
 スクリーンいっぱいに扇形の図が映し出されました。中村講師の「生命誌(Biohistory)絵巻」です。扇の要(カナメ)は38億年前のひとつの細胞(DNA)です。広がった端にあるのは現存するあらゆる生き物です。すなわち、現存する生き物は全て先祖をたどるとその要の1点に行きつくのです。人もゴキブリもバクテリアも。蟻1匹を殺すということは、この38億年続いた命の線を絶つことなのです。しかし私達は生き物を食します。命をいただいて生きます。「いただきます」には、そうした意味があるのです。
 科学技術と生命を相対的に比較します。科学技術は便利さを追求します。早く均一なものを。一方、生命は時間を必要とします。途中手抜きはできません。思い通りには育ちません。しかし、思いがけないものが出来る面白味があります。
科学技術が自然を破壊すると、自然の一部である生命・ヒト(身体・心・時)を破壊することになります。(今の社会現象を連想します。)21世紀は科学技術万能の世界から脱却し、生き物としての人間を取り戻すルネッサンスと提唱されます。
日本の国民性は、自然を征服するでもなく、自然を神として恐れるでもなく、自然を自然よりも自然らしくつくってその中で安らかに生きようという性質をもっている。その世界観を今こそ大切にし、自信をもって世界に広めたい考え方です。
では、タイトルの「生きている」と「生きる」とは。講師のレジメを引用します。生命誌の世界で人間が生きていくということは「『いのち」と『こころ』』が大切」、「それを動詞で考えると『生きている』と『生きる』になります。みな生きていますし、生きようとしています。」
講師が大学で化学を専攻された動機は、高校時代の素敵な化学の教師(女性)だそうです。いま、若い人の科学離れが問題になっていますが、特に女子高生にこの講師のお話を聞かせたいと思いました。もちろん、ぅん十年後の女子高生もこの夜は充分刺激を受けて、満足して帰途につきました。
| 銀座の教室 | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
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